#6 負け犬でも勝てる

 1976年、社名をブルーリボンからナイキに変更し、1400万ドル(当時の為替レートで約42億円)の売り上げをたたき出しても、なおナイキは資金不足の問題に直面していた。
 この問題を解決しようと、ナイトと創業メンバーたちは、何度も株式上場について話し合う。しかし、株式を「公開」し、他人に主導権をわたすことにナイトは抵抗する。きっぱりと答えを出すために、彼らは、バットフェイス(ダメ男)という、定例ミーティングを開始した。

 こうした重大な話し合いは、会社の歴史上で最も試練の時期と重なったが、バットフェイスのミーティングは、ひたすら楽しかった。1分たりとも仕事だと感じることはなかった。
 私たちは世の中に背を向け、世の中を気の毒だとも思い、不当な世の中に対して抱いていた怒りを忘れられた。
 私たちの誰もが誤解され、不当に評価され、無視されていたのだが、しばしそれを忘れた。上司からは避けられ、運に見放され、社会に拒絶され、見た目や品の良さなどには恵まれなかった。
 初めの頃の失敗で烙印を押された私たちは、自らの進むべき道、存在価値や存在意義を求めながらも、うまくいかなかった。
 ヘイズがパートナー(共同経営者)になれなかったのは、太り過ぎていたからだ。
 ジョンソンは9時から17時までの、いわゆる普通の世界では生きられなかった。
 ストラッサーは保険の弁護士でありながら、保険と弁護士を嫌っていた。
 ウッデルは不慮の事故で若い頃の夢をすべて失った。
 私は野球チームに入れてもらえず、気持ちをくじかれた。
 バットフェイスの面々は根っからの負け犬で、彼らも私をそう見なしている。だが、そんな連中でも、力を合わせれば勝つことができるのだ。
 株式上場は、ナイキを生かし続ける最後の手段なのかもしれない。

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