あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?
2011年3月11日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?
原発から爆発音が聞こえた――
放射線が飛び交う中、自力での避難が不可能な老人を守るため、
自らの危険を顧みず老人に寄り添った介護士たちの
奮闘と葛藤を克明に描き出す、感動のルポ。
「終わりだ。原発が爆発した」「やれることはやっぺ」「死に物狂いでくっついてこい!」
「利用者がこのまま死んでもいいというんですね」「もう限界です」「県知事命令は受けている」
「逃げるな!」「誰を残すかなんて、そんなの選択できないですよ」「私たちに死ねっていうんですか!?」
「寒い寒い」「酒でも飲んで、2人でなんとかすっから」「これで誰も死なせなくて済む」
「動かしたら死んじゃうんじゃない?」「やっぱり、高齢者には避難は無理なんだ」「老人殺し」
「最後は俺がケツを拭くから」「いいよ! おらあ受けるよ」「職責もなんもねえけど、困ってたらほっとけねえべ?」
「やっぱりご飯はうめえな」「こんなときに不謹慎に大笑いして」「俺、多分、ギリギリまで帰らないから」
「家族をおいてまで、利用者をケアするのか」「子どもができなくなったら、どう責任とるんだよ!」
「私だって、赤ちゃんが産みたい……」「弱者が淘汰されていくのかと思うほど簡単に亡くなっていく」
「おらがこんな状況だから、みんなおらのこと置いて逃げんだべ」
「なあに言ってんの、最後までおいていかないよ。……最後まで、一緒だよ」
黒川清【国会事故調 元委員長】推薦!
ここかしこに1人ひとりの現場の人たちの生き様があぶり出されてくる。
苦悩がある、多くの感動がある、そして多くの悲劇がある。
この報告から、何を学ぶのか。このような現実にどう対応していけばよいのか。
これは私たち1人ひとりに突きつけられた課題である。