はしがき
計量経済学の目的
家計にとって賃金はどうなるか、企業にとって売上はどのようになるのか、政府にとって国債金利はどのように動くのか、これらは関係者にとり死活的な利害に触れる問題である。賃金、売上高、国債金利などの経済事象は何に起因し、どのような要因にどのくらい規定されているのだろうか。これを経済理論、統計的理論と手法さらに現実のデータを統合しながら解明しようというのが計量経済学である。このように計量経済学は本来実践的なものである。しかし従来の大学で講義される計量経済学と実践で求められる計量分析には大きなギャップがあった。使えない計量経済学は実務家にとり無意味であろう。実務家の予備軍である学生や院生にとっても興味は引かないだろう。そこで我々は理論的基礎を踏まえながら十分に実践に使える計量経済学を目指して本書の初版『EViewsによる計量経済分析-実践的活用法と日本経済の実証分析』東洋経済新報社(2001年)を上梓した。
初版刊行後10年、計量経済学の内容は深化し、それを実践と教育面で支えるEViewsなどのパッケージソフトは飛躍的な進歩を遂げた。実証分析で用いられる計量経済学の分野も重心がシフトした。たとえば伝統的なマクロ経済分析はOLSや操作変数法による分析からVAR、VECMモデルの利用へと移り、時系列データの性質について単位根検定や共和分検定を行うことは当然のルーティン作業となった。家計や企業行動分析に個票を使うことはますます増えている。経済主体の動学的分析や因果関係のより明瞭な把握のために、クロスセクションデータと時系列データをあわせたパネル分析はもはや珍しいことではない。
そこで我々は正しく実践に使える計量経済学を目指して初版を全面的に改訂することにした。
そのために各章ごとの執筆に当たっては、1 理論的な説明を展開し、2 分析素材のデータを提示し、3 容易に使える計量ソフトEViewsにより実際に分析を行う、というスタイルを採用した。これにより計量分析で求められる1 前提(仮説)は何であるか、2 前提は満たされているのか否か(仮説の検定)、 3 前提が満たされているとして推計結果はどのように見たらよいのか、つまり限界効果や弾性値などの経済的解釈はどうすればよいのか、 4 前提が満たされていない場合はどのように修正すればよいのか、を実地に行えるように努めた。
第1章「最小2乗法(OLS) 単回帰」では被説明変数を1つの説明変数で分析する最小2乗法(OLS)-単回帰について紹介する。この章では係数の求め方に加えて、線形回帰分析の標準的仮定と標準的仮定が満たされている場合の、得られた推定量の性質を解説する。得られた係数の限界効果、弾性値の算出方法についても解説する。データの見方についても紹介する。さらにEViewsの使用法についても解説する。第1章は本書全体の基礎をなす部分である。第2章「多重回帰」では被説明変数を複数の説明変数で分析する多重回帰を取り上げる。ここでは経済学や計量経済学をはじめとして科学で仮定される「ceteris paribus(他の条件一定)」についても解説する。過小定式化と過剰定式化の問題にも触れる。定式化の誤りの問題は本書で繰り返し行われる仮説検定と密接な関係にたつ。補論では行列代数を使ったOLSの係数の求め方などについても紹介する。第3章「仮説の検定」では仮説の立て方とその統計的な判断方法(有意性の判断)について解説する。1つの被説明変数について異なる説明変数で分析するという複数のモデルがあるときの、モデルの選択についても解説する。補論では代表的な仮説の検定方法であるLR検定、LM検定、Wald検定について行列代数を用いて詳しく解説する。第4章「時系列データの基礎」では月、四半期、年単位のように集められた時系列データ分析の基本的な問題を系列相関、時点による構造変化、季節調整済みデータの使用の観点から取り上げる。異時点間の誤差項が相関を持つときの系列相関の検定、系列相関がある場合の推計の修正方法について詳しく解説する。季節調整済みデータは政府や民間シンクタンクあるいは研究者においても無批判に使用されているが、その使用が深刻な問題を生じること、そのために経済分析に当たっては季節調整済みデータの使用を避けるべきことを解説する。第5章「分散不均一」では、分散が均一か否かの検定、分散不均一のケースの推計方法について解説する。ここまでが計量経済学の基礎であり、学部レベルで習得することが望まれる。これ以降の節や章は大学院生や実務家が必要に応じて学ぶことが期待される。第5章ではあわせて誤差項の条件付き分散が過去の誤差項と過去の分散に依存するARCHとGARCHを取り上げる。今日ではGARCHモデルはファイナンスの主要な一分野となっている。第6章「操作変数法、2段階最小2乗法とGMM」では、誤差項と説明変数が相関を持つケースを取り上げる。どのようなとき誤差項と説明変数が相関を持つのかを解説し、その検定方法を紹介する。誤差項と説明変数が相関する場合の解決法である2段階最小2乗法、操作変数法、GMMの推計方法を紹介する。2段階最小2乗法、操作変数法、GMMという操作変数を利用して得られた推計結果が一致性を有するための検定方法について弱操作変数の観点から紹介する。第7章「連立方程式モデル」では複数の被説明変数を連立して推計する場合を取り上げる。ここでは伝統的な計量モデルとともに今日では代表的な時系列分析方法となったVAR、構造VARについて解説する。第8章「単位根」では時系列データの性質について、定常性の観点(単位根が存在しない)から解説する。時系列データが定常性を欠く(単位根が存在する)場合、通常のOLSモデルは深刻な問題に直面する。その検定方法について詳述する。第9章「共和分」では非定常な変数間の問題である共和分を取り上げる。共和分の有無の検定方法について解説するとともに、単一の共和分方程式FMOLSさらにVARの誤差修正項モデル(VECM)の扱いについて触れる。VAR、構造VAR、VECMはマクロ経済分析や金融、ファイナンスの有力な分析手法となっている。第10章「パネル分析の基礎」ではクロスセクションデータと時系列データを統合したパネルデータを取り上げる。パネル分析で意外なまでに閑却されているパネルデータの作成方法とその性質についてまず解説する。推計方法であるプールしたOLS、固定効果モデル、変量効果モデルについて解説する。そのうえで3つの推計方法のいずれを選択すればよいかについて詳述する。今日パネル分析は個別の家計や企業の行動分析に不可欠なものとなっている。第11章「パネルの拡張」では誤差項の系列相関、分散不均一の検定を行う。特に通常のパネル分析の前提である誤差項と説明変数が相関するかしないかの問題(強外生性)の問題について解説し、強外生性を満たさないケースについてパネルの操作変数法を紹介する。さらにパネルの単位根と共和分について解説する。第12章「質的選択モデルと分布に制約のあるモデル」では最初に被説明変数が1か0の値をとる2値的選択モデル(probit、logitモデル)について解説する。ついで消費支出額のように下限が0、上限が無限大という分布に制約のあるTobitモデルを取り上げる。さらにある行為が内生変数の場合、その行為の選択が成果にいかなる影響を与えるかを分析する処置効果モデルについて解説する。第10章と第11章では家計や企業の個別データを用いて分析されることが多い。わが国でも個票データの蓄積とともに急速に普及している分野である。
本書で新たに旧版に加えた主な部分は次のとおりである。季節調整済みデータの問題(第4章)、GARCHモデル(第5章)、GMM推計、弱操作変数の検定(第6章)、GMMの連立方程式と構造型VARモデル(第7章)、単位根のKPSSテスト、NPテスト(第8章)、共和分のFMOLS推計、さらにJohansenテストとVECMモデル(第9章)、パネルモデルにおける強外生性の考え方(第10章)、パネルのIV法とGMM推計、パネルの単位根と共和分(第11章)、処置効果(第12章)である。これにより大学院生や企業・官公庁に努める実務家が必要とする実証分析の分野をほぼ網羅した。分量を抑えるために旧版から期待のモデル、3段階最小2乗法、ARIMAなどを削除した。
本章では推計のためのデータを東洋経済新報社のホームページ
http://www.toyokeizai.net/
を通じて提供する。データは日本経済に関するものだけではなく、韓国、カナダ、米国、ベルギーに関するものを含む。データの内容は中小企業財務、マクロ経済、金利、為替、銀行経営、労働、消費、医療など多岐に及ぶ。用いる計量方法に応じて個別経済主体ごとのクロスセクションデータ、集計された時系列データ、個別経済主体のパネルデータ、集計された都道府県パネルデータ、など様々である。これによって読者は教科書に記載されたデータの分析にとどまらず、自分の工夫により新たなモデルを推計することができるだろう。データの提供に当たって我々が配慮したのは十分なサンプル数を確保することである。十分なサンプル数を確保することで推計や検定の前提が確保できる。10や20のサンプル数では、計量経済学が分析の前提とする大標本理論を満たさないという問題を解消し、計量経済学的に信頼に足る推計結果・検定結果を本文中に示した。ただし、十分なデータを提供するために、諸外国のデータを利用することにした。日本に限定した場合、著作権の関係でデータの提供が困難だったからである。そのために初版のサブタイトルであった「実践的活用法と日本経済の実証分析」は削除した。
本書は学部上級生、大学院生および実務家を対象としている。講義で用いる場合は本書全体で4単位、つまり30回の講義で足りるだろう。基礎的なマクロ経済分析に関心がある人は、第1~3章を基礎に、第4章、第5章1~5節を重点的に読めばよい。マクロやファイナンスの時系列データを分析しようという人は第4章、第5章6~7節、第6~9章を中心に読めばよい。家計や企業の個別行動に注目する人は第1~3章を基礎に、第5章1~5節、第6章、第10~12章を重点的に読めばよいであろう。講義であればそれぞれ2単位で足りるだろう。
初版は広島大学、慶應義塾大学の学部や大学院の講義に用いた。受講生諸君と同僚から寄せられたコメントや要望は、筆者にとり改訂のための大きなインセンティブとなった。全ての要望に応えることはできてはいないが、謝意を表したい。東洋経済新報社出版局の高井史之氏には構想の段階からお世話になり、須永政男氏には緻密な編集と校正を行っていただいた。本書に読みやすいところがあるとするならば、それは高井氏、須永氏の力に負うところが大きい。あわせて謝意を表したい。
2011年9月6日
松浦克己
コリン・マッケンジー(Colin Mckenzie)
第1章 最小2乗法(OLS) 単回帰 第2章 多重回帰 第3章 仮説の検定 第4章 時系列データ分析の基礎 第5章 分散不均一 第6章 操作変数法,2段階最小2乗法とGMM 第7章 連立方程式モデル 第8章 単位根 第9章 共和分 第10章 パネル分析の基礎 第11章 パネルの拡張 第12章 質的選択モデルと分布に制約のあるモデル
松浦克己
まつうら・かつみ
1951年福岡県生まれ。1975年九州大学法学部卒業。郵政省入省。大阪大学経済学部助教授。長崎大学経済学部教授等を経て、現在広島大学大学院社会経済研究所経済学部教授。経済学博士(大阪大大学)
主な著書に『EViewsによる計量経済分析』(共著、東洋経済新報社、2001年)、『資産選択と日本経済』(共著、東洋経済新報社、2004年)、『EViewsによる計量経済学入門』(共著、東洋経済新報社、2005年、『ミクロ経済学』(共著、東洋経済新報社、2009年)など。
Colin Mckenzie
コリン・マッケンジー
1957年オーストラリアのメルボルン市生まれ。1980年オーストラリア国立大学経済学部経済学科卒業。1986年オーストラリア国立大学経済学部博士課程修了 オーストラリア国立大学経済学部経済学部講師、大阪大学大学院国際公共政策研究科教授を経て、現在、慶應義塾大学経済学部教授。Ph.D(オーストラリア国立大学).
主な著書に『EViewsによる計量経済分析』(共著、東洋経済新報社、2001年)、『資産選択と日本経済』(共著、東洋経済新報社、2004年)、『EViewsによる計量経済学入門』(共著、東洋経済新報社、2005年、『ミクロ経済学』(共著、東洋経済新報社、2009年)など。