「失われた20年」を、日本人はただ無為無策で過ごしたわけではなかった。数え切れないほどの改革と変革のビジョンが語られ、そのあるものは政策となり規制となって実現した。それにもかかわらず(そしておそらくあるものはそれゆえに)、改革は不完全燃焼に終わり、想定していた効果は生まれなかった。
日本の「失われた時代」の原因として、次の5つが指摘できる。
その第一は、「最優先課題」と「損切り」の先送りである。これは、バブル崩壊後、金融機関が背負い込んだ不良債権の処理をめぐって典型的に表れた。
第二は、部分最適と全体最適のトレード・オフを克服し、全体の利益を追求する国家戦略を打ち出せなかったことだ。政府が重要な決定を下すにあたって、全体最適解を下そうとする際、それに抵抗する政治力の強い組織的ストレスを克服できず、その組織の部分最適解を優越させてしまう。このことは、国家課題に関する明確な政策優先順位を設定し、それを容赦なくかつ効果的に追求し、実現する意思と能力の不在とリーダシップの不在を示している。
第三は、既得権益層の岩盤構造である。これは、既得権益層がインサイダー集団を形成し、そこで手にするレント(過剰利潤)を守るために改革に抵抗する政治的に強固な構造のことである。
第四は、政府も企業も「成功体験の虜」になったことだ。グローバル化とIT化と新興国の台頭と挑戦という新たな環境の下でも、日本企業の多くは高度成長期のビジネス慣行を維持し、それにしがみついていた。
最後の第五は、官民問わずに危機意識が不十分だったことだ。日本の危機感の乏しさは、この間に深まった日本人の悲観主義の高まりと著しい対比を成している。そうした危機感なき悲観論の傾向は二一世紀初頭にはすでに明瞭に表れていた。
これら五つの原因のうち、部分最適解と全体最適解のギャップにこそ、日本の「失われた時代」の本質がある。
日本が「失った」のは日本のせいであり、主語は日本である。自分たちの「お家の事情」、つまり指導力の不足と既得権益の抵抗、が革新を阻んできた。
「失われた時代」をただ取り戻そうという政治はノスタルジアの政治に堕する恐れがある。もはや存在しない環境のもとでのみ有効だった仕組みや慣行をモデル化し、さらには神話化してしまう危険がある。
国民が「失われた時代」ではなく、「失った」時代を自らの課題として捉えて初めて、そうした神話から自由になるであろう。
日本の「失われた時代」の行方は、世界に大きな意味を持つ。その行方は、アベノミクスの成否という次元にとどまらない。それは、日本の歴史的な役割と世界、なかでもアジア太平洋の地政学におけるプレゼンスと安定といった世界史的な意味合いを帯びることになる。