はじめに
オリンパスが十数年間にわたって損失隠しのため不正会計を続けていたことをマイケル・ウッドフォード社長が暴露して、社長を解任されたことから国際的な大事件になった。
そして大王製紙の三代目御曹子会長が子会社のカネを一〇〇億以上もモナコやシンガポールのカジノで使って大損していたことが発覚し、東京地検によって会社法違反(特別背任)容疑で逮捕された。
これはいずれも会社のトップが暴走し、それを誰もチェックしていなかったという事件であるが、なぜトップが暴走し、それを誰もチェックできなかったのか?
日本のマスコミは、これをコーポレート・ガバナンス(企業統治)の問題として取り上げているが、これはコーポレート・ガバナンスの問題というよりも、株式会社の基本にかかわる問題である。
オリンパス、大王製紙の問題が起こってから、会社法を改正して、社外取締役や監査役の制度を強化する、という方針を法務省の法制審議会が打ち出しているが、これはこのような小手先細工で解決できるような問題ではない。
それは株式会社という制度そのものの基本にかかわる問題であり、そこにメスを入れなければ解決しない。
近代株式会社制度がスタートしたのは一九世紀なかばで、それが二〇世紀に入って巨大株式会社(ジャイアント・コーポレーション)になったが、その巨大株式会社が危機に陥ったところから資本主義経済は行き詰まった。
これが二一世紀の現在の状況であるが、そのことが例えば「ウォール街を占拠せよ(OWS)」という運動となって現れている。それが標的にしているのはウォール街の銀行に代表される巨大株式会社である。
日本が一九五〇年代後半からの高度経済成長をなしとげ、そして七〇年代の〝石油危機〟を乗り切って、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるようになったのは大企業=株式会社のリードによるものであった。そして一九八〇年代の株価、地価の暴騰によるバブル経済をリードしたのもこれら巨大株式会社であった。
ところが一九九〇年代に入って株価、そして地価が暴落して〝バブル〟が崩壊し、それをリードしてきた巨大株式会社が危機に陥った。オリンパスの事件も大王製紙の事件もそういう状況の中で起こったのである。
そして一九九〇年代から二〇一〇年代の現在に至るまで、日本経済が長期間低迷して、「失われた二〇年」といわれるようになったのも、その最大の原因は株式会社が危機から脱出できないことによるものだといってよい。
それは単に日本だけの問題ではなく、アメリカやヨーロッパでも同じような状況にある。
私はほぼ半世紀にわたって株式会社の研究を続けてきたが、そのなかでいま世界的に株式会社が危機に陥っているということを認識するに至った。
そういう見地からオリンパス、大王製紙の事件が何を意味しているのか、ということを明らかにしようとしたのがこの本である。
「失われた二〇年」といわれるような長期の混迷状態から日本が脱出するためには、日本経済を支えてきた株式会社のあり方にメスを入れる以外にはない。
多くの人によって「資本主義の危機」といわれているのは、実は「株式会社の危機」である。この危機から脱出していくためには株式会社にメスを入れるしかない。それによって新しい道が開けてくるのではないか……。
二〇一一年三月一一日の東日本大地震から発生した東京電力の危機も、それは株式会社の危機を告げるものである、ということを前著『東電解体―巨大株式会社の終焉』(東洋経済新報社)で書いたが、本書はそれに続くものである。
この本で取り上げているデータはすべて新聞や雑誌などに発表されているものであるが、このデータに基づいて、会社学研究家としての私の考え方を展開した。
第1章 トップの暴走を止められない会社――オリンパス 第2章 同族会社の悲劇――大王製紙 第3章 トップの正体――日本の社長 第4章 問われる経営者の責任 第5章 監査法人は何を監査していたのか 第6章 大株主はなぜ黙っているのか 第7章 崩れる従業員の「会社本位主義」 第8章 マスコミはなぜ報道しないのか 第9章 もはや株式会社ではない 第10章 「危機の二〇年」から脱却する道
奥村 宏
おくむら ひろし
1930年生まれ。新聞記者、研究所員、大学教授を経て、現在は会社学研究家。
著書に、『日本の株式会社』『法人資本主義の運命』『無責任資本主義』『東電解体』(以上、東洋経済新報社)、『会社本位主義は崩れるか』『株式会社に社会的責任はあるか』(以上、岩波書店)、『エンロンの衝撃』『会社はどこへ行く』(以上、NTT出版)、『三菱とは何か』(太田出版)、『株のからくり』『経済学は死んだのか』(以上、平凡社)、『会社学入門』『徹底検証 トヨタ』(以上、七つ森書館)などがある。