『東洋経済新報』の人びと
日本で内閣制度が創設されて以来、今日まで127年余り、その間に誕生した首相は62人におよぶ。その中で石橋湛山ほど異色な人物はいない。湛山は稀代の政治家であったが、同時に卓越した思想家でもあった。彼に匹敵する政治家は存在しない。その湛山を育成したのが日本を代表する経済誌『東洋経済新報』(現在は『週刊東洋経済』)である。
著者の松尾尊兊は、39歳のときに初めて『新報』の存在を知ったが、それ以来ほぼ半世紀近くにわたり、日本の民主主義と自由主義の発展に対する『新報』の寄与について多くの論文や文章を書いてきた。氏の代表的な作品は、『大正デモクラシー』(岩波書店、1974年)、『本倉』(みすず書房、1983年)、『大正デモクラシーの群像』(岩波書店、1990年)、『民主主義と帝国主義』(みすず書房、1998年)、『わが近代日本人物誌』(岩波書店、2010年)などに収録されているが、本書には、原則として、それらの著書に含まれなかった数多くの文章が4部構成で収められている。
『東洋経済新報』は創刊以来、会社経営などの「私経済」よりも、財政・金融の大勢を論じる「公経済」を得意としてきた。その社説や論説では経済の領域にとどまらず、政治、外交、社会、教育、文化など問題も幅広く取り上げてきた。町田忠治、天野為之、植松考昭、三浦銕太郎、石橋湛山といった歴代の主幹だけでなく、片山潜、尾崎士郎、赤松克麿、高橋亀吉、清沢冽、田川太吉郎など多くの異色ある社員や寄稿家が執筆にあたってきた。その論調は自由主義で一貫し、日露戦争後から満州事変前までの大正デモクラシー期には、日本の言論界の最先端に位置した。
「世界史の転換期にある今日、『新報』の掲げた自由の燈光は、過去の日本の暗黒を照射するだけでなく、未来の日本を導く力を失ってはいない」。本書を締めくくるに当たっての松尾の言葉だが、読者は読了後、あらめて『新報』の徹底した自由主義の真髄を再確認させられることになるだろう。