静かなる崩壊への萌芽
2010年に中国で会った元山出身の脱北者(同年脱北)は当時、金正恩への世襲についてどう思うかという質問に対し、こう答えた。
「金正恩が金正日と違うという見方は間違っている。 それは北朝鮮に暮らしてみなければわからないことだ。 父から教育を受けた息子が、父を裏切って改革開放を実行するなんてありえない」
北朝鮮の大部分の地域では1996年以降、配給制が中断した。1カ月、2カ月経過しても配給は再開されず、餓死者も出始めると、さすがに北朝鮮の人々も正気を取り戻した。
悪夢のような日々が10年以上続くなか、住民も社会も変化し始めた。
党員になるよりチャンマダン(自由市場)で一番の商人になったほうがよい未来が約束されることを知った。
現在の北朝鮮社会の変化は早い。1年前と1年後では大きく異なっている。住民たちの価値観や意識は、私たちが想像する以上に変化している。
このことは北朝鮮政府も認識している。だから、金正恩体制は統制を強化している。
それゆえに、政策ミスによって住民と党幹部の不満が爆発すれば、北朝鮮社会に体制を揺るがす大きな変化をもたらす可能性はある。
北朝鮮の未来を理解するにあたって、後継者問題や核問題が重要だということは言うまでもない。
だが、このような問題に隠されて見えない北朝鮮の人々への正確な理解が、北朝鮮の未来を予測する最も重要な鍵となるだろう。
第1章 等身大の北朝鮮人 第2章 脱北者の実像 第3章 北朝鮮経済と庶民の商魂 第4章 北朝鮮の生活文化 第5章 東アジアと北朝鮮
チョ・ユニョン(趙允英)
1979年、韓国済州島生まれ。ソウル・梨花女子大学大学院北朝鮮学修士課程修了。2000年、韓国KBS放送局のプロジェクトで脱北者にインタビューしたのをきっかけに、2003年まで脱北者の親善団体「白頭漢拏会」と「脱北者同志会」でボランティアを続ける。
2004年から2006年春までは、故ファン・ジャンヨプ(黄長。1997年に韓国に亡命した元・労働党幹部)の秘書を務める。
現在は、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程で日朝関係の研究をしながら、韓国をはじめ、中国や東南アジアを行き来し、脱北者や、中朝を往復する北朝鮮住民の取材を行っている。