編集者コメント
ここに2種類の「貧困の悲劇」がある。
1つ目は、貧困が人々を苦しめているという悲劇。
2つ目は、莫大な援助をつぎ込みながらも、それでも貧困はなくなっていないという悲劇。
いったいどのようにしたら、貧しい国の人たちを幸せにすることができるのか。 援助を増やせばいいのか、援助のやり方を変えないと駄目なのか。
本書は、善意にあふれた先進国からの援助のうち、たった数パーセントしか本当に必要な人に届いておらず、これまで経済成長に成功してきた国は、援助をそれほど受け入れてはいない国である、という現実をまず冷静に分析する。そのうえで、本当に有効な援助とは何か、どんな援助のやり方が、本当にそれを欲している人々のもとに届けることができるのかについて、これまでの援助のやり方とは異なる援助を提案する、いわば、論争の書である。
経済発展とは自助努力であり、援助はそれを側面支援する、という意味で、著者は援助は必要だと考えている。だが、先進社会にいる官僚が「貧困を一挙に解消する」などというビッグプランを立ててもうまくいかないと主張する。そうではなく、本当に援助を必要としている人々の近くにいて、常に彼らの声を聞き、需要を探し出し、うまくいくやり方を見つけ出すのに長けている人たち、そう、まさにマーケット・リサーチャーのような人たちこそが、マラリア汚染地域に住む子どもたちにマラリアによる死亡を半減させる1つ数セントの薬を、確実に届けることができるのだ。
2つめの悲劇がなくなれば、私たち先進国の援助は、確実に、第1の悲劇をも救うことができるだろう。 『エコノミスト 南の貧困と闘う』の著者による、援助と開発のあり方を問う力作、第2弾。
第1部 なぜプランナーによる援助は発展をもたらさないのか 第2部 「白人の責務」を行動に移す 第3部 白人の軍隊 第4部 未来
ウィリアム(ビル)・イースタリー
William Easterly
1957年,ウェスト・バージニア州に生まれる.1985年,MITで経済学博士号(Ph.D.)取得.世界銀行に入行.1985-87年には西ア フリカ,コロンビアの融資担当エコノミストとして,以降2001年まで調査局のシニアアドバイザーとして世界各地を飛び回り,数 多くの会議やセミナーに出席し,多数の論文を書くなど,「経済成長分析」の専門家として精力的に活動.2001年世界銀行を退職 .現在はニューヨーク大学経済学部教授.そのほかブルッキングス・インスティテューションの非常勤シニアフェローも務める.
著書にThe Elusive Quest for Growth, The MIT Press, 2001(小浜ほか訳『エコノミスト 南の貧困と闘う』東洋経済新報社, 2003年)やReinventing Foreign Aid,The MIT Press, 2008(編著)等がある。
小浜裕久
こはま・ひろひさ
1949年, 川崎市に生まれる.1972年, 慶應義塾大学経済学部卒業.1974年, 慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了 .
現在、静岡県立大学国際関係学部教授.
著書に,Lectures on Developing Economies: Japan's Experience and its Relevance(共著),1989;『ODAの経済学( 第2版)』,1998年;『近代経済成長を求めて』(共著),2007年;Industrial Development in Postwar Japan, 2007, ほか.訳書に,『経済成長の「質」』(共訳),2002年;『エコノミスト 南の貧困と闘う』(共訳),2003年,等がある.
織井啓介
おりい・けいすけ
1957年,松本市に生まれる.2005年,一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了,博士(経済学).
現在, 敬愛大学国際学部准教授.
論文に, 「通貨バスケットにおける円の位置付け」(共著)(『東アジア通貨バスケットの経済分析』2007年),ほか.訳 書に, 『経済成長の「質」』(共訳),2002年;『エコノミスト 南の貧困と闘う』(共訳),2003年がある.
冨田陽子
とみた・ようこ
1946年,苫小牧市に生まれる.1969年 慶應義塾大学経済学部卒業.
現在,セーコロ21(翻訳・研究図書出版)所属.
訳書に,『経済成長の「質」』(共訳),2002年;『エコノミスト 南の貧困と闘う』(共訳),2003年,等がある.